クリスチャン ディオール=ニューモード
クリスチャン ディオール(Christian Dior)の生涯
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クリスチャン・ディオールは1905年1月21日、フランスのノルマンディ地 方にある英仏海峡(ドーバー海峡)に面した町グランビルで化学肥料工
場を経営する裕福なディオール家の次男として生まれました。
彼が生まれた町”グランビル”はフランス上流階級のバカンスの場として有名でカーニバルがよく行われていました。カーニバルでみた色とりどりの衣装がのちの彼のデザイナーとしての原点といえます。そしてこの頃から衣装のデッサンを楽しんで行っていました。
芸術的なものに特別な感覚を持っていたクリスチャン ディオールは、 思春期になると両親に隠 れてよくカフェに出入りをし22歳の時、
政治家か外交官という両親の期待と違う画商になろうと決心し友人と画廊の共同経営を始めました。
画廊はオープン当初から盛況でしたが、弟の精神異常・母の死・不況による父の会社の倒産・そして画廊の閉鎖と突然 彼に次々と不幸が襲いかかってきました。
さらには結核にかかり、 長い静養後も長引く不況でなかなか仕事を 見つけることができませんでした。 そこで思い出したのが、少年の頃カーニバルで見た色とりどりの衣装
・ 楽しくデザインをしていたこと。思い立ったクリスチャン ディオールは本格的なデザインを始め、モード界でクリスチャン ディオールの名前が知られるようになったのは彼が30歳を過ぎた頃でした。
1946年に木綿王マルセル・ブサックの援助でパリ・モンテーニュ通り30番地にメゾンをオープンさせました。
1947年、パリにデビュー。 クリスチャン ディオールの最初の コレクションは第2次世界大戦でオシャレに渇望していたパリジェンヌを刺激しました。
ペチコートで膨らませた曲線を強調したゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、 くるぶしまであるロングスカートという優美なスタイルの
”花冠ライン(Ligne Corolle)”、 そのシルエットの美しさに世界中が興奮しました。
このときハーパース・バザーの編集長カーメル・スノウが叫んだ。
「これはまさにニュー・ルックだ」 と言ったことから、 ”ニュー・ルック”と呼ばれ世界のモード界に旋風を巻き起こしました。
その後も次々と新しい手法を生み出し ”流行の神様” とも呼ばれましたが、1957年に健康状態がすぐれないクリスチャン・ディオールは休養のため訪れていたイタリアの湯治場モンテカティーニで心臓発作によりこの世を去りました。
メゾンをオープンさせて10年後、52歳の若さでした。
<参考文献>
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